CIMA「今日誰がモノマネするんですか?って聞いたんですよ」マグナムTOKYO「再会はお父様のおかげです(笑)」2人のビッグショー、イベントレポート【後編】
チケット即売、緊急追加の立見席も即完したCIMAxマグナムTOKYO「2人のビッグショー」、前編に続き今度はメキシコからアメリカWCWへの定期参戦、闘龍門立ち上げから別れ、再会までをお届けします!
文:スレンダー川口
https://x.com/slender_kg
前編はこちら
https://creators.ticketpay.jp/archives/4081
<WCW出場>
小佐野)二人ともメキシコでやりながらも、実は結構WCWにも行ってるんですよね。二人でタッグ組んでる試合とかも出てきますよね。アレックス・ライト、ディスコインフェルノとの試合してるし、ジョニー・グランチとロッコー・ロックのパブリックエネミー。
CIMA)あ~、大変な目に遭います。テーブルを二段重ねにして、その上に寝かされて上から回転して振ってくる、テーブルを二段割るっていうのがあるんですけども、肘のところ、前腕がもう全部ザックリ切れました。若手も若手なんで何も言えないですけど。やり遂げたって気持ちの方が強かった。
マグナム)俺もお尻のところ、テーブルが割れなくてお尻がドーンと落ちて、パックリ割れてワーッと。真空切りにあったみたいであんまり血も出ないんですけど、パクパクパクパクしてて(汗)
小佐野)2人ともウルティモドラゴンとも試合やってる。マグナムTOKYOは永田裕志とも試合してる。それにエディ・ゲレロ、あとフベント・ゲレーラの世界クルーザー級に挑戦してんじゃないですか。
CIMA)普通にデビュー1年とかそれぐらいで。もうイケイケでしたからね。ほぼ毎週行ってましたよね。
小佐野)二人とも根っこはブラックマンとかスコルピオとかルチャじゃないですか。アメリカンスタイルとの違いってどうでしたか?
CIMA)僕は若かったんで何でも受け入れることができてたと思います。
マグナム)俺は多分ね、その違いにあんまり気づいてなかったんだと思う。なんか言われてみるとそういうものかな。普通にやってて、あんまり分かってなかった。とにかくオフィスの人に言われたのが、お前みたいな日本人はもうクレイジーだと。要するに新日本プロレスから行く人たちばっかりじゃないですか。 ピンクのパンツを履いて、ピアスはしてるわ、タトゥーは入れてるわ。「お前みたいな日本人はおかしい。でもそれが受けるんだ、アメリカでは」って感じで言われたんで、もうこれでいいやって。
CIMA)タトゥーもいきなり入れて行きましたからね。散髪行くぐらいのノリで。帰ってきたら何かサランラップをずっと腕に巻いてた。
小佐野)でもメキシコで入れるのって怖くないですか?
マグナム)あんまそこ考えてなかったんですよ。確かに今思うと危険ですよね。でも時間かかるんで飽きてきちゃって。待ってる時間なんか暇だから「こっち側にピアス開けようかな」って言ったのがピアスのきっかけなんですよ。 ピアス一個開けたらまだやってるからもう一個開けようて。「お前は根性あるな。最初からこんな太いので穴開けるヤツいないんだぞ。普通は細いのを開けて広げていく」なんて言うんですよ。お前もう血まみれになってんだろ、先に言えよ!って(笑)
小佐野)結構無鉄砲な人だね(汗)
CIMA)18年ぶりに会っても何も変わってなかったんですよ。
<闘龍門、日本で旗揚げ>
小佐野)マグナムさんがWCW行ってる間にCIMA選手はクレイジーマックスとしてもう日本に上陸して、98年みちのくプロレスに二回来てるのかな。
CIMA)浅井さんのプロデュース力ってすごいなって思いますね。違う風に走らせて、後に99年1月31日に合流して闘龍門を旗揚げするわけじゃないですか。あれはすごいですね。ちなみにみちのくはサスケさんが遠征に来られた時に日本からレトルトのカレーをいっぱい持ってきて、僕たちがカレーで買収されるという。今考えたら秀逸ですね。
小佐野)98年は僕まだ週刊ゴングの編集長だったんですよ。つまりプロレス大賞の選考委員なんです。98年の選考会、ベストタッグ賞になんと私はクレイジーマックスをノミネートさせてもらったんですよ。「トリオは今まで取ったことないけど新しい」「活きが良い若い人が賞を取ったほうがいいでしょう」と。残念なことに選考委員でクレイジーマックスの試合を見た人は一人もいなくて(苦笑)。でもそれぐらいインパクトがあった。
ーー会場「おおお~」ーー
小佐野)そして99年1月31日、感動的な旗揚げ大会を戦いましたね、二人とも。マグナムさん、試合後は倒れてました。
マグナム)救急車で運ばれましたからね。なんかケブラーダの時に北側の階段にね。あそこからちょっともう力も入らないというか、ふわふわしちゃって。控室戻ってコメントするときに倒れちゃったんですよね。
小佐野)あの日、 99年1月31日の午後 4時 4分にジャイアント馬場さんが亡くなってるんですよ。僕はその時点で知らないけども、その日にあなた達が日本デビューしたんだよね。なんかあそこが日本マット界に変わっていく一つの時だったんだなって後から思ったんですよ。それまでの馬場猪木のプロレスじゃないものがここから出てきたなっていう。
CIMA)鮮明には覚えてないですけど、凄かったな、熱狂空間だったなって覚えてます。僕らみちのくプロレスでも同じ後楽園ホールで試合をやってたし、入場した時はもうお客さんの「待ってました感」が凄かったですね。ドラゴンキッドが来て、マグナムTOKYOが来てっていう、凄かったです。
小佐野)よくあれだけパブリシティがちゃんとできてたなって。あそこでクレイジーが大したことないやって言われたら…やばかった。
CIMA)そこはもう浅井さんからプレッシャーかけられましたね。「こうこう、こういう流れでいくから、お前ら絶対失敗するなよ」って。でも僕らもね、めちゃくちゃ自信あったんですよ。やっぱり合宿所生活なんで、日本のプロレスのビデオばっかり見てたんです。キャリア 1年そこらの選手が言うことじゃないんですけど、まあ若かったし『全然大したことない』って思った。俺らが行ったら絶対沸かせられるって物凄く自信があった。やっぱりそれはね、メキシコのアレナメヒコでも試合をさせてもらえた、アメリカのテレビマッチにも出させてもらえたとか、そんな経験した若手って多分今までの日本プロレス界でいなかったと思うので、むちゃくちゃ自信ありましたね。誰もやってない技ばっかりだったし、僕らは。
マグナム)俺はそこまでしなくても良かったんじゃないのっていっぱい言われましたね(笑)。母親にも言われましたよ「そんなにお金に困ってたの?」って(笑)※
※満員のリングサイドではマグナムのタイツにおひねりがどんどん差し込まれた
CIMA)バブルの最後の方やったんで凄かったですよね。1万円の輪っかとかもありましたもんね。
マグナム)あったあった。ただね、だんだんこう(斜めに下る)になってきました。世の中っていうかね、こんなもんだと。なんか見たこと無い紙幣が入ってきたり小銭とか。小銭は試合中にタイツの中で動いちゃって大変なんだけど(笑)
<敵対関係だった>
CIMA)再会していろいろ分かったことなんですけど、僕ら自身がっていうより、周りがそういう風に。なんですかね、コントロールされてたわけではないんですけど、当時やっぱり生きるのに必死。とにかくマグナムに負けるか、向こうはCIMAに負けるかという、お互いグワーッってもう圧が全開過ぎたんで、そういう考える余裕とかもなかったし、あの、本当に人生懸けて争ってましたので。今はもうそういう時代じゃないって言われるかもわかんないですけど、人生賭けて張り合ってたから今があるっていうのも、事実だと思います。
マグナム)そうね、もうほんと試合に関しては、やっぱり僕ら年は上なんだけど、CIMAは本当にそのトレーニングもストイックだし、やっぱり斬新なこと考えるじゃん。プロレス頭もすごいし。やっぱ適わないなってずっと思ってて、もう本当に追いかける感じ。唯一勝てるのって私生活の破天荒さぐらいしかない。もうそこだけ必死でした(笑)
小佐野) 初めマグナムTOKYOがバーッて人気あったけども、結局プロレスファンってちょっとヒールが好きじゃないですか。リング上で口論になっても絶対(CIMAが)勝っちゃうじゃない?
マグナム)それはもう関西人ですからね~。いやでもね、俺心の中でずっと思ってたのはベビーフェイスやってたじゃないですか。『俺、そんな人間じゃないのにな~。お客さん何にもわかってないな~』って思ってた(笑)
小佐野)とはいえシングルは5回しかやってない。
CIMA)最後のシングルは覚えてるんです。「絶縁(相手が座った状態でソバットを顔面に叩き込む技)」が初めて出た時です。もの凄いソバットにキレがあるんで。今では使う選手多いですけど、あれが絶対初ですね。
マグナム)当時から年に 2、3試合ぐらいしかちゃんと試合してなかった。そのうち一個だけに気持ちがこもってるのが出た。あとはすごいもう手抜きの試合(笑)
CIMA)こう言ってますけど、本当に誰よりもソバットが正確です。 ピンポイントに顔面にやってきますね。サイドとか絶対行かない、絶対正面に来るんで。 だからもらう方も覚悟できます。
小佐野)そのUDG選手権でマグナムさんがベルトを取りました。「この二人、心が通じ合ってるな」って感じられる試合でしたね。「オンリーワンの団体にするんだ、CIMAのこともリスペクトしてる」と。
マグナム)そういう機会もなかったんですけど、あの時って感情が凄く入ってたんで、この機会を逃しちゃうと次言う場面もないから、ほんとに伝えたかったって気持ちですね。
CIMA)とにかく冗談抜きで青春を全速力で一緒に走ってたんで。もう一回やれって言われても無理なぐらいの全速力でしたよね。それぐらい駆け抜けて生きてましたね。
<ウルティモ校長との別れ>
マグナム)まあもうしょうがないなという感じですよね。 やっぱりあのプロレス学校を経て、自分たちがここに来てるから、どっかで離れないとしょうがないしっていうのはあったんで。僕も結構ドライだから、そこはそこでしょっていう感じで。ここから先はやっぱり自分のやりたいこともあったし、本当にドラゴンゲートに変える時は自分なりの戦略がやっぱあったんで、そこに対してキャストとしてね、いる必要があるかないかって部分では仕方なかったかなと思いますけど。
CIMA)僕はその当時の中のこととか細かいことは現場の方、リングの方だったんで正直知らない。でも岡村さんがいて黒木さんがいて、実務とかどれぐらいやってたかっていうのはなんとなく肌ではわかってましたので、プロレスで生きていくんだったらこっちだなっていう感覚ぐらいですかね。だから今もやっぱり浅井さん、ウルティモドラゴンのことはすごく好きですし、それはファンの頃から変わらないんですよ。そこは一つの別れるポイントだったんで、自分自身で選択しました。
マグナム)ちょっとそこ遡ると、2003年の終わりに僕はミラノと試合をしたんですね。あの時もちょっと体調も悪くて、ほんとは辞めたいっていうのをずっと思ってて。そしたらフジの仕事が来てるっていうのがあって。 で、どうしようかなって時にやっぱ腹くくってそこまで行かなきゃダメだなと思ったんですよね。ちょっと休んで戦略練っていう感じだったんで、そういう点では欠場もしてたからあまりコミュニケーションもなかったし。その間も次の準備をしてたんですけどね。
小佐野)CIMA選手はもう本当にリングに専念っていう感じ?
CIMA)そうしてくれてましたよね。なるほどって思ったのは、行く行き着くゴールは一緒だと。さっき控え室で「俺は右回りで、お前は左回り。でも行くところは一緒だからっていうつもりでやってた」っていう風に言ってくれたんで、現場のこと、リングのことはすごく任せてもらえてたんですよね。
<18年ぶりの再会>
小佐野)初めに聞こうと思って忘れてたんですけども、去年久々に会ったわけです。マグナムさんはもうリングに上がって踊るというのが決まってたわけですよね。当然CIMA選手が出場することも知ってた?
マグナム)そこは知ってましたね。
CIMA)僕はなんも知らなかったんですよ。黒潮TOKYOジャパン選手の大会は主要選手以外はほぼXで僕もその一人だったんですけど、自分の控室に入ろうとしたら「マグナムTOKYO様」って張り紙が目に入った。葛西純さんと同じ控え室だったんでまあ平田選手がそうであるように、「今日誰がモノマネするんですか?」って聞いたら「いや、本物来てましたよ」って言うんですよ!「俺、18年間会いたいと思ってても連絡先すら何処にいるかすら何してるかすら情報も入ってきてへんのに、今日来てるわけないじゃないですか(笑)」「いや本当にいますから。今リング周りとかいると思いますよ」って言うから、ええ!?ってすぐバババッて上がっていったら、ちょうどリングを挟んだ対角線の南側に黒木さんがいて。僕見つけてくれた瞬間におーいって。さっきと一緒ですよ。僕ダーッ走ってグワーッて抱きついて。 だから周りがみんなびっくりしてましたよね。
マグナム)そうそうそう、とにかくね、あの大会にちょっと花を添えるってことになった時に(黒潮TOKYOジャパンに)「他に誰が出るの?」って聞いたら「ちょっと…CIMAさんが出ます。うちの大会は試合を当日発表なので言わないでいただけると」なんて言うから「じゃあ俺が来るってCIMAに言ってよ」って言ったらまた「いや…ちょっと言えません。もしそれでCIMAさんが来ないってなっちゃうと、ちょっと僕も怖い」って。「そんなことないから。絶対ないから言ってよー」ってずーっと言ってたのに、結局当日それだったから、『おお、これガチだー』って思った。親の顔が見てみたいよ(笑)
CIMA)お父様のおかげです!(会場の黒潮パパをご紹介、会場拍手喝采)
小佐野)それだけみんな気を遣うという。
CIMA)またね、黒潮ことイケメンの素晴らしいところというか、これ多分ね、他の人にそれをされてたらちょっと怒ってたと思うんですよ。その日の最終便を買ってしまってたんで、それを先に知ってたらやっぱり翌日にしてたとか、違う帰り方をしてもっと話したかったんですけど。でもイケメンの良いところというのは、彼がやったことによって予想だにしなかったこんな形で再会できるんだっていう、もうそっちが勝ってしまった。その場で「この場を作ってくれたからにはもうどんなオファーでも受けさせてもらう!」って伝えてね、それぐらい嬉しかったですね。
マグナム)俺はなんか「おー、久しぶりー」ぐらいの感じ(場内爆笑)。俺はなんか多分会うだろうなって。多分タイミングが違うだけでどこかで会うだろうなぐらい思ってたから会って「おー」って。でもやっぱり妙な武者震いはしましたよ。
この裏話なんですけど、最初は僕の小中学校の同級生が「マグナムが好きだっていう居酒屋のマスターがいるんだよ」って言われて、当時はもうプロレスやってなたかったんで「俺はもうそういうのは面倒くさいからいいから」って一回スルーしたんですよ、何年も前。その後、コロナの時にぼーっと夕方テレビ見てたら、なんか居酒屋を手伝いながらやってるレスラーがいるみたいなのが目に入って。へーと思ってたら、いろんな写真が出てきて急に自分の写真が出てきて。びっくりしちゃって、俺が子供をこうだっこしてるわけですよ。
小佐野)実はそれがイケメンだった。
マグナム)そうなんです。で、それもその時だけで終わったんだけど、おととし夏ぐらいに、その僕の同級生が「この間イケメンくんの試合を見に行ってきたんだよね」って。「そうなんだ、俺も知ってるよ。なんか居酒屋のニュース見たことあるんだよね」って返したら「そうそう前にさ、ほら、マグナムのこと好きな居酒屋のマスターいるって言ったじゃない?それ、イケメンのお父さんなんだよ」とかって言うの!「マスターに俺マグナムの同級生なんだけどって言ったら『そういう嘘はつくもんじゃない』って言われちゃったんだよね(笑)」なんて言うから、だったら俺も店行くよって本当に行ったんですよ。
CIMA)ここで繋がった。
マグナム)そこでイケメンくんに会って、もちろんお父さんにも会って。業界にこんな良い子いるんだって思ったんで「俺で良かったら何でも協力するから」って言ったの。したらすぐ「じゃあ試合をしてください」俺も即「試合はやんない、そういう大変なことはやらないから(笑)」「だったら会場来てくれますか?」「いいよ」って。でもそこからなんかモジモジしてるわけですよ、親子が(笑)。そしたらもう最後「樋口家総意でのお願いです」なんてお姉ちゃんとか妹さんまで来ちゃって。それで押されて向こうが勝っちゃった。
小佐野)久々でしょう、踊ったの。
マグナム)そうですね。本当にあの瞬間です。普段踊ることないですから(笑)
小佐野)CIMA選手は見てたんですか?
CIMA)はい、ずっと時計とにらめっこしながら。何時までに空港行かなあかんって。僕が第1試合で、第2試合の後に登場だから着替えてもう勝手に付いて行ってですね、入場口の手前まで入っていたのも見届けたんですけど、やっぱり近くで見たいと思ってリング下まで行ってこう(スマホで録画)してるんです。「リング上で踊ってるマグナムTOKYOを撮影してるCIMAを見て喜んでる場内」が、心地よかったですね~(しみじみ)

ーーあれだけ敵対していたと思ったら18年ぶりの再会はがっちり抱きしめ合ったという(涙)。お互い全速力の青春だったんだな~と納得できました。皆さま、CIMA選手自主興行、5.11東京・新宿FACEでお会いしましょう!
<大会概要>

名称)CIMAデビュー29周年大会 2つの太陽
日時)2026年5月11日(月) 開場18:00 開始19:00
場所)東京・新宿FACE
チケット)
席数は(立ち見含む)開催日と同じ511席仕様!!
ストーリーとヒストリー!
<プロフィール>
CIMA(シーマ)
本名:大島伸彦 1977年11月15日 大阪府堺市出身。173cm/83kg。闘龍門1期生として1997年5月11日 メキシコ・アレナ・ナウカルパン vs黒木克昌戦でデビュー。得意技はメテオラ、シュバイン、マッド・スプラッシュ。現在は身体のメンテナンスを経てフリーとなり、CIMAの理想を現実化するためのプロジェクト「PROJECT-C」を立ち上げ、精力的に活動中。来たる2026年5月11日に東京・新宿FACEにて29周年興行を開催!
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